2023年11月5日更新
はじめに
家族メンバー(息子・娘・妻・私)のそれぞれの紹介と投稿記事(病状、療育経過、最新の話題など)を時系列で掲載します。今後も、1〜2ヶ月を目処に定期的に家族全体の状況をまとめていきます。
特に、息子と娘の発達障害の経緯については幼少期・小学生・中学生・高校生と順を追って詳しく記載しています。
ちなみに、家族メンバーそれぞれの個別近況報告の投稿記事は次のとおりです。
● 息子
#1:2022年1月16日 配信 「友人との二人旅行が待ち遠しい!」
#2:2022年1月18日 配信 「鈍行で150kmの二人旅に出発」
#3:2022年1月20日 配信 「息子は二人旅から無事帰還」
#4:2022年1月21日 配信 「癇癪を起こして薬を大量摂取!」
#5:2022年2月23日 配信 「息子が初めて鬼と化した!」
#6:2022年2月27日 配信 「朝寝坊の息子が自力で起床」
#7:2022年3月31日 配信 「深夜に家出した息子はどこへ?」
● 娘
#1:2022年1月17日 配信 「不安だけどバイトがんばる!」
● 妻
#1:2022年1月22日 配信 「妻はダラダラとマイペース」
● 私
●家族全員の近況まとめ
#1:2022年1月 9日 配信「家族の近況報告 2022年1月9日」
#2:2022年4月16日 配信「家族4人の近況報告 2022年4月16日 ”息子は事実上の高校中退 → 高卒認定を目指す!”」
#3:2022年7月27日 配信「家族4人の近況報告 2022年7月27日 ”息子が息子が緊急入院→退院後は急転直下の高校復帰→8月の高認の受験勉強は継続→事実上のダブルスクール”」
#4:2023年3月1日配信「家族4人の近況報告 2023年3月1日 ”息子(ADHD)は高認合格が裏目となって高校中退が確定”」
#5:2023年11月5日配信「妻はうつが悪化して再入院+息子(ADHD)はバイト1周年+娘(ASD)は受験勉強に突入」
なお、本サイトで取り上げる「主な発達障害の症状」はASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、LD(ディスレクシアを含む)ですが、次のとおり合併する特性として軽度の知的障害、感覚過敏、発達性協調運動症、サヴァン症候群も取り扱います。
【発達障害の特性】
・ASD(自閉スペクトラム症=自閉症スペクトラム障害)
・ADHD(注意欠如多動症=注意欠陥多動性障害)
・LD(ディスレクシア[失読症]を含む局限性学習障害)
【発達障害と合併または関連する特性】
・知的障害(境界知能を含む)
・HSP(感覚過敏)
・DCD(発達性協調運動症)
・ギフテッド(サヴァン症候群)
息子(ADHD・ASD・境界知能・HSP/療育手帳B2)
● 幼少期
すでに保育園および幼稚園の段階で他の子供たちと同じように遊ぶことができず、幼稚園から発達障害の可能性があるとの指摘を受けて、5歳の時に発達支援センターで発達障害診断を受けました。
その結果、軽度の発達の遅れや社会性の欠如を指摘されましたが、「特別支援学級に入らなければならないほどの障害レベルではないので、しばらく普通クラスで様子を見ましょう」という判断でした。
幼少の頃から記憶力・論理的思考・言語能力がすぐれていました。ちなみに、息子が5歳のときに書いた怪奇小説(どらやき10000万円 2022年2月13日 投稿)をカテゴリー「ショートショート」でも紹介しています。
● 小学生
・発達障害の深刻化(強度行動障害)
協調生がなく他の子供たちと同じように勉強したり勉強したり運動したりすることができませんでした。また好き嫌いが激しく、嫌なことは一切やりませんでした(例:プールでの水泳授業)。
3年生になって授業をボイコットしたり、学校を脱走したりするなどのトラブルが始まりました。また、お友達を突き飛ばしたり、物を投げたりするなどの暴力行為が頻繁にありました。
その一方で、同学年の生徒からのいじめや高学年の生徒から通学途中での暴力を受けるなどの被害もありました。この時の担任教師が発達障害に対する理解が非常に薄く、周りとの摩擦から息子の悪態や病状はどんどん悪化していきました。
・発達障害にともなう感覚過敏
ちなみに、このとき知覚過敏の問題が顕著化してきました。具体的には、体を締め付けるような衣服をまとうことができないのです。例えば、上履きシューズを着用することがどうしてもできず、靴下のままで校内を歩き回っていました。
他に、帽子やベルトなども着用できません。服も大きめのサイズでゆったりしたものでなければ長時間着用できないのです。
また、騒音や人混みをかなり嫌います。例えば、息子の教室に沿った廊下を大勢の生徒が雑談をしながら通ると、その生徒らの声が騒音のように感じてしまい癇癪を起こすなどのトラブルがありました。
・広汎性発達障害の診断と療育手帳の取得
そこで、心療内科で広汎性発達障害(ADHD・ASD・軽度の知的障害)の正式診断を受けました。療育手帳(B2)を取得して、発達支援センターの支援と医師の指導も受けつつ本格的に療育と治療を開始しました。それを契機に、小学4年生の途中から特別支援学級に移行しました。
しかしながら、家庭内では妹との喧嘩が激しくなり、私達両親が体を張って阻止しなければならいときも頻繁にありましたこのあたりから家庭崩壊が始まります。
息子の強度行動障害は徐々に顕著化して行きました。ついには包丁やフォークを持ち出すこともあったので、娘を守るために娘の部屋に鍵を付けました。
・お習い事
小学1年生からピアノを習い始め、卒業後も続けました(中学2年で終了)。小学2年生くらいまではピアノ演奏会にもソロで参加していました。また、同時期からハムスターを買い始めました。
● 中学生
特別支援学級で3年間を過ごしました。時々遅刻はしましたが、ほぼ規則正しく登校できました。
本人は数学を勉強したかったようですが、担当教師が「他の重篤な知的障害児にかかりっきりであったこと」と「良く言えば強制しないで自由にさせる、悪く言えば放ったらかし」の方針でしたので、ほとんどかまってもらえなかったようです(本人談)。
よって、毎日が退屈で特にやることもなく、ダラダラと過ごしました(2時間以上の居眠りも頻繁)。
その一方で、息子は仲の悪いクラスメイト(発達障害&知的障害の生徒)に暴言を吐いたり、喧嘩したりしたこともありました。
息子には「暴言や暴力は絶対にダメだ!」と何度も諭しましたが、なかなか改善しませんでした。この時期、息子は妹だけでなく妻との喧嘩も絶えませんでした。
残念ながら、ピアノは中学1年生の時に先生と喧嘩して止めてしまいました。ピアノの先生は発達障害の理解が乏しく、全く配慮してもらえなかったことから、授業時間の半分以上もの長い時間、ずっと怒られているという状況でした。
家庭内では、暴力や暴言が激化しました。上述の通り包丁やフォークを凶器として持ち出すなど強度行動障害は重篤化しました。さらには、激昂して家出をすることもありましたし、自宅の屋根の上に登って降りてこないという事件も複数回ありました。
その度に警察や救急車が自宅に来ましたので、近所の方には随分と迷惑をかけてしまいました。
● 高校生
高校生になると暴力を振るうことはかなり少なくなくなりました。仲の良い友人(発達障害&知的障害)もできて喜んでいたのですが、2年生の時にトラブルを起こして学校内でも重大な問題になりました
学校が仲介して双方の保護者間の話し合いをしまして、息子とその友人の意思も尊重した上で、最終的に当面は絶交するのがよいという結論となりました。
それがきっかけで息子の精神不安定が重篤になり、1ー3ヶ月の入院を3回繰り返すことになりました。そこで、学校・病院を交えて本人と話し合った上で、1年の休学としました。
そんな中、入院中に出会った友人(精神疾患あり)と仲良くなり、今は比較的落ち着いた毎日を過ごしています。今では息子にとって彼が1番の親友であり、生きる糧になっています。
現在、ADHD治療薬を毎日服用しています。精神安定剤と睡眠薬はとんぷく剤として適時服用です。
《その後の経過》
・2022年1月16日 配信 「友人との二人旅行が待ち遠しい!」
・2022年1月18日 配信 「鈍行で150kmの二人旅に出発」
・2022年1月20日 配信 「息子は二人旅から無事帰還」
・2022年1月21日 配信 「癇癪を起こして薬を大量摂取!」
・2022年2月23日 配信 「息子が初めて鬼と化した!」
・2022年2月27日 配信 「朝寝坊の息子が自力で起床」
・2022年3月31日 配信 「深夜に家出した息子はどこへ?」
娘(ASD x 強度行動障害 → 療育拒否)
● 幼少期
・特性
遅刻することもなく毎日時間通りに保育園および幼稚園に通い、特段の問題を起こすことはありませんでした。ただ、同年代の友達は少なく(協調性に欠ける傾向あり)、人見知りが非常に激しかったです。
それゆえ、兄(息子)と一緒に遊ぶことが多かったように感じます。また、4歳からハムスターを飼い始め、とても可愛がっていました。
・感覚過敏
幼少の頃は、娘には匂いに対する感覚過敏がありました。特に悪臭に対しては耐えられない場面が多々ありました。例えば、公衆トイレの匂いや不廃物の匂いでなのですが、匂いの原因となる場所には一定距離以上近づくことができない状況になります。
● 小学生
4年生までは特段のトラブルはなく、楽しそうに毎日に通学していました。また、学校や地元の行事(運動会、お祭り、放課後のイベントなど)にも休むことなく参加していました。
ただし、控えめで友人は少なく(人見知りは激しい)、近所の一部の友達または両親と兄と遊ぶことが多かった印象はあります。
ちなみに、3年生くらいまではパパ大好きでしたが、4年生くらいからだんだんと疎遠になっていきました。
5年生くらいから友人関係でトラブル(喧嘩や傷害)が時々発生しました。このあたりから本人としても孤立感が深まっていったように感じます。
小学校2−4年の2年間ほどピアノを習っていました。ピアノ演奏会にもソロで参加したことがあります。
● 中学生
中学生1年の6月から卒業時までほぼ不登校でした(後にその原因の一つがASDにともなう社会性の欠如であることが判明)。その間、深刻な精神不安定に起因する様々なトラブルがありました。
病状としては睡眠障害(ほぼ昼夜逆転)と精神不安定が顕著でしたので、治療のため心療内科に通院していました。
● 高校生
通信制の高校入学がきっかけとなり、不登校は改善されました。毎週1回の通学ですが概ねできています。
2021年8月にASDの診断を受けて本格的に療育を開始しようとしましたが、本人がそれを拒否しました。それ以来、治療はストップしています。
ところが、不思議なもので、退院後は中学校時代から続いていた精神不安定や睡眠障害は少しずつ解消してきました。
ただし、赤ちゃん返り(退行)は今もなお顕著で、妻が就寝後(およそ夜11時以降)に妻のベットにやってきて妻の側でウゴウゴしています。
11月からコンビニでのアルバイトを始めました。1回目は精神不調により3日で離脱しましたが、翌月から別のコンビニ店でアルバイトを再開したところ、優しい店長や同僚に恵まれて、高校1年生の1月時点で継続しています。
《その後の経過》
・2022年1月17日 配信 「不安だけどバイトがんばる!」
妻(適応障害→うつ病/障害3級 ADHD傾向あり)
● 特性
妻はもともとADHDの傾向が多々ありました。生活に支障をきたすほどの深刻な問題もありましたが、息子が小学校2年生くらいまでは家族4人で穏やかに過ごしていました。
息子が小学3−4年生の2年間、妻は自ら立候補してPTA会長をしました。最初は好奇心(社交的でおしゃべり好きの性格)とママさん派閥内の権力志向的な意図もあったのかもしれませんが、結果的に学校内で息子(小学4年で発達障害の認定を受け特別支援学級に移籍)の問題行動への対応などが重なり多忙になったようです。
ちなみに、妻が精神的に不安定で怒りっぽくなったのは、息子のADHDが顕著になり始めた時期(息子が小学3年生=PTA会長就任)からです。
息子が周囲との間に引き起こすトラブルへの対応ストレスや私への不満(私が営業職で帰宅が遅くて出張が多かったこと)が原因だったのではないかと思います。また、妻自身もママさん友達との間でトラブルがありました。
妻のストレスは息子や私に対するモラルハラスメントという形で徐々に顕在化していきました。そして、3年前に追い討ちをかけるように娘の問題行動(ASDに伴う強度行動障害)が深刻化して、妻は適応障害(うつ病)を発症しました。
薬による治療やカウンセリングを受けつつ、発達支援センターの専門家の指導も受けながら療養しました。
その後、精神不安定と睡眠障害が悪化し、1年半前に入院をしました。それ以降は、半年ごとに病状が悪化して入退院を繰り返しています(入退院は計3回)。
半年前に障害者手帳3級を取得しました。リハビリも兼ねて週に3−4回程のパート(スーパーの開店準備作業の手伝いを3時間/日)をしています。
● ボランティア活動
息子が小学3−4年生の2年間、PTA会長や通学パトロール員をしていました。また、家庭環境に恵まれない子供の支援などもやりました。
5年前から「こども食堂」を立ち上げ、現在も運営しています(コロナ禍ではお弁当の宅配スライルに変更)。私自身は実務にはタッチしませんが、個人的に経済援助をしています。
● 体調管理
毎月一回の心療内科受診と毎週1回の訪問看護を受けています。抗うつ薬と睡眠薬を毎日服用しています。
《その後の経過》
・2022年1月22日 配信 「妻はダラダラとマイペース」
私(定型)
● 子育て・援助・家事・仕事の両立
会社員(営業職)として働いていますが、コロナ禍ではほぼテレワークです。私自身は特段の障害はありませんが、率直に申しましてストレスと心労は相当なものです。
それゆえ、子育て・妻への援助・家事・仕事の両立管理(ワークライフバランス→ワーク・ライフ・インテグレーション)を長期間にわたり試行錯誤してきました。
● 精神の安定を保つ努力も必要
家族4人の中で健常者は私一人という状況では、ある意味で疎外感が痛切です。自分自身が常時正気でいられるように(これはマジです)、精神の安定を保つための生活習慣を試行錯誤してきました(例:瞑想、朝散歩、モーニングルーティン)。
それでも、現実は過酷なものです。息子の発達障害に伴うトラブルや妻のモラハラが激化して以降は、湿舌に尽くし難いほどの辛い経験を繰り返してきました。
思い返せば、失敗と挫折の連続です。もう自分の力ではどうすることもできないという無力感で、絶望しそうな時もあります。それでも前向きです。「これは運命なんだ」と思って、引き受けることにしています。
● ちょっと残念なこと
上述の通り過去に多数のトラブル対応を経験した教訓から、子供2人と妻が完全に就寝するまで、好きなお酒が飲めないのです。
万一、警察や救急車の出動要請をすることになったときの事後対応で、私が家族の付き添いのため自家用車を運転しなければならないことが複数回経験したことがあるからです。
その教訓として、家族が寝静まるまでは禁酒しています。実際、自宅のみならず、会社の接待や懇親会等でも飲酒はしません。
以上
2023年11月5日更新