学校教育と家庭知育

「玄関の靴を揃えること」の意味? 発達障害者家族の在り方を考える!

はじめに

 私は4人家族で、息子、娘、妻がいます。高2の息子は重篤なADHD療育手帳B2取得)で、言語理解において軽度の知能障害があります。

 高1の娘はASD で、恒常的に精神不安定な気質で、特に中学生の時は重篤な強度行動障害を伴うものでした。

 妻はもともとADHDとASDの傾向があり、息子と娘への対応からのストレスが原因で3年前に適応障害を発症し、慢性的なうつ症状になっています(障害者手帳3級取得)。

 よって、私以外の家族3人は整理整頓や掃除が苦手で、いくら促しても片付けの習慣が身につくことはありませんでした。私もある程度は止むを得ないと認識しており、強制するようなこともありませんでした。

 そんな自由奔放な家族に対して私が唯一こだわった習慣が「玄関の靴を揃える」ということでした。
 それでも、実際は私が子供達が靴を脱ぐ場面に立ち会った時だけ、「靴を揃えようね」と子供達に優しく声をかける程度でした。

一方、妻は「子供の靴は散らかっていて当然」という考えがあり、子供達にしつけることはありませんでした。

それゆえ、長年の間、私以外の家族の靴はほとんど散らかった状態で玄関に置かれていました。

家族4人の靴が玄関に揃うようになるまで10年かかった。

 そんな状況の中で、私は散らかった靴を見つけるとこまめに揃えるようになりました(妻の靴も含まれます)。
 ただし、私は営業職で経営管理も兼務しておりましたので、出張が多く家を空けることも度々ありました。ですから、私が家に居ない時は、靴は散らかった状態であっただろうと推測しています。

 ところで、2年前にコロナが流行して以来、会社方針として特段の理由がない限り出張が禁止され、仕事のほとんどがテレワークになりました。

 その結果、私はほとんど家に居ますので、家族の靴を終日見ることができる状態になったのです。私はここぞとばかりコツコツとこまめに家族全員の靴を揃えるようにしました。

マメタ父さん
マメタ父さん
玄関のすぐ向かいにトイレがあるので、トイレに行く度に否応なしに靴の並びが目に入ってしまいます。

 1年くらいが経過した頃、いつしか妻と娘は自発的に靴を揃えるようになったのです。そうすると遅ればせながら、息子も1年半が経過する頃には娘に倣うかのように靴を揃えるようになったのです。

マメタ父さん
マメタ父さん
マジで奇跡か?

⭐️ じわっと嬉しさがこみ上げて、2021年10月23日のTwitterで発信

発達障害児が靴を揃える画像

 結果論ではありますが、「家族みんなが自発的に靴を揃えるようになったきっかけはコロナ」と言ってもいいでしょう。

 偶然かもしれませんが、靴が揃うことに比例するかのように娘の強度行動障害が緩和してきたのです。そして、息子の不登校やトラブルはまだ続いているものの、娘と激しく喧嘩することはなくなりました。

 まさに、人間万事塞翁が馬です。

家族全員の靴が並ぶ玄関は「一体感の象徴」

● 家族の持ち物が一斉集中する場所は玄関の靴置き場のみ!

 「私がなぜこれほどまでに執念深く”靴を揃えること”にこだわったのか? 」についてお話します。

 基本的に子供達がお友達の家に遊びに行ったときに靴を揃えることがマナーですから、子供が幼少の頃は「礼儀を身につけて欲しい」という気持ちがありました。

 でも、一向に家族全員の靴が自発的に揃うことはありませんでした。あるとき、私は散らかった靴を眺めていたときに、どういうわけか幼少の頃の父の言葉を思い出しました。

 私の父親は小学校の教師でした。父曰く、「玄関の靴が綺麗に並んでいない家庭ほど不和が多く、そこの子供は学校でも問題行動を起こす可能性が高い」とのことでした。毎年、生徒を家庭訪問する中で、父はふと気がついたと言います。

 私は、「靴の整頓レベルは家族関係の縮図かもしれない」と思いました。そもそも家族4人の持ち物が一ヶ所に集う場所は「玄関の靴置き場」くらいではないでしょうか?
 そう考えると上述の「靴の整頓レベルは家族関係の縮図かもしれない」という私の感性は満更当たらずとも遠からずだと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか?

 そして、実際に上述のとおり、靴が並びが揃うようになってから、子供達の精神状態は安定化していきました

幸せそうな家族4人 イラスト画像

● 靴の並べ方にも意味がある!

 私は散らかった靴を揃えるときに4人の靴がいつも同じ並びになるようにしていました。それぞれの靴の位置は左から私・息子・娘・妻の順です。
 息子と娘を私と妻が包んでいるような並びにすることで、子供達に安心感を与え、家族の一体感を無意識に訴えることができると考えたからです。

マメタ父さん
マメタ父さん
この靴の並べ方は私の個人的な考えです。必ずしもそうでなくてよいと思いまし、毎回並び順が毎日変化してもダメということではありません。

 自発的に靴が揃うようになった初期段階では、靴の位置はときどき私・妻・息子・娘という順や私・息子・妻・娘という順もありましたが、いつしか自然と私・息子・娘・妻の順に並びが固定されました

マメタ父さん
マメタ父さん
最近はお年頃の娘がファッショナブルになってしまい複数の色とりどりの靴を玄関に置くようになったので、私の靴は向かいの下駄箱の前の位置になってしまいました。

玄関に置かれた靴は内界と外界を繋ぐ手段

 「数ある持ち物の中でも靴は特別だ」と私は認識しています。なぜなら、「家から外に」あるいは「外から家に」出入りする上で必要不可欠な手段だからです。具体的には次の3つの用途があります。

 まず一つ目として、靴は「大地を歩く」という役割があります。自らを外界に解き放ち「風に触れ日光を浴びながら歩く行為」は人間の基本的な営みであり、健康維持に不可欠なものです。
 逆に、ずっと家に閉じこもっていると鬱になりなすいと言われています。実際、精神科医の樺沢紫苑さんは、「鬱予防には朝散歩が最も効果的」と主張されています。

 二つ目の役割として、靴というものは「一個人が不特定多数の人々と触れ合うための道具」と言えないでしょうか?
 ちょっと大袈裟ですが、外の世界に出ていくことにより、人との接触が実現して、孤独が解消されます。その結果として、心が癒されるのです。やがては、この小さな人間関係構築の積み重ねが社会全体との繋がりへと発展していきます。

 最後に三つ目ですが、靴を履くことは「職場へ出陣の儀式」ということです。私たちは家族を養うために働かなければなりません。
 家から出て会社へ向かう最初の動作が靴を履くということなのです(テレワークの場合は当てはまらないかもしれません)。「家庭から仕事への精神的シフトの初動」とも言えます。

 例えば、皆さんは紳士靴を履くときに、一般的には決まって左右のどちらから順に履き始め、靴ベラを使って踵を整えますよね。
 多くの人の場合、これは無意識のルーティン(儀式)になっています。仮に、靴を履く左右の順番をわざと変えるとなんとなく動きが不自然になるはずです。

 そう考えると、「靴を大事にしなければならない」と必然的に感じますよね。

靴を磨くことは心を洗うこと

 最後に靴を揃えることと同じくらい私が大切にしていることをお話しさせてください。それは、靴をしっかりとメンテナンスして大切に扱うことです。

 特に、仕事で使用する紳士靴や婦人靴はこまめに磨いて手入れすることが必要です。だって、仕事の現場ではまず足元を見られますから。これが信用につながるわけですから、靴を磨くことは当然だと思っています。

 元プロ野球選手のイチローさんは「グローブやバットの手入れを怠らないことを信条としている」という旨の発言をされています。

 結局のところ、靴を磨くことは自らの心の邪念を拭き払って外の世界に旅立つための儀式のようなものかもしれません。

靴磨き(ピカピカに磨かれた靴) イラスト

参考情報

●【投稿記事】発達障害児との親子関係が悪化したとき、親がとるべき関係修復法5選

●【まとめ記事】学校教育(特別支援)と家庭知育(習い事・資格)

●【まとめ記事】毎日が辛い当事者へ

●【まとめ記事】子育て/家事/仕事の両立

●【まとめ記事】発達障害者(知的障害を含む)のご家族の学歴とキャリアの成功事例

以上

2022年1月30日

マメタ父さん