学校教育と家庭知育

「発達障害者の声を聴く」とは? 親子の在り方を考えよう!

* 記事ボリュームは20,701文字です。お時間がない方は、冒頭のチャプターの「はじめに」だけをお読みください。

はじめに

 皆さんのご家族が「幽霊をみた」「月に行った」「イルカに乗って竜宮城に行った」なんてことをあなたに真顔で話したら、信じますか?

 普通の人の感覚なら、「そんな馬鹿なことあるものか」「嘘つくな」「子供の戯言」などと叱ることでしょう。
 仮に声に出さなかったとしても、心の中でそう思う人は多いと思います。子供がそんなことを言うものなら、親でさえもそうでしょう。

 果たして、この態度は正しいでしょうか?

 発達障害者の中には、妄想を真実のように語る人がいます。私の息子のその一人です。

マメタ父さん
マメタ父さん
息子は ADHD と ASD の発達障害児(軽度の学習障害あり)です。ただし、このような不思議な言動や妄想は必ずしも発達障害者に限ったことではありません。

 健常者から見ればあり得ない馬鹿げた話でも、「本人にとって紛れもない真実がある」と私は考えています。

聴く」とは、「発達障害者の心の内なる世界を受け止めてあげること」ではないでしょうか? 本記事では、「内面の真実」をテーマに深掘りしたいと思います。

 
 本記事の【結論・要約】は次のとおりです。

● 「聴く」とは、発達障害児の内面の世界(無意識あるいは妄想)の真実を信じること

● 「聴く」とは、発達障害児の言い分を無条件で受け入れること

● 「聴く」ことにより、親子関係が修復される。

● 「聴く」ことにより、発達障害児の自力(当事者意識)が育つ。

● 「聴く」ことは易しいことではないが、すべての親に共通してできる唯一の教育である(親の経済格差や家庭環境は一切関係ない)。

● 「聴く」ことは必ずしも共感ではない。


 本記事で紹介する参考情報(書籍・CD)は次のとおりです。

● 漫画「ニトロちゃん みんなと違う、発達障害の私」沖田✖️華(発達障害の漫画家)=著

● 講演CD「こころを処方する ユングの心理学」河合隼雄(臨床心理学者・教育学博士・京都大学名誉教授)=著

● 書籍「存在の発見」ロロ・メイ(米国の臨床心理学者・人間性心理学の第一人者)=著

息子の実例1: 「お化け」と話す息子

 息子(ADHD)は幼少の頃から、お化けが割と好きでした。というのも、お化けが出てくる絵本とアニメに慣れ親しんでいたことやお化け屋敷に行ったりしたことがきっかけだったと思います。

 息子が5歳くらいの時、怪談レストランにハマっていました。ちなみに、息子が怪談レストランのシリーズ「真夜中の学校レストラン」のストーリーをパクって創作した絵本が「どらやき10000万円」(ショートショートの2022年2月13日投稿記事)です。

 ちなみに、息子は言葉を話せるようになるのがかなり遅かったのですが、文字・数字・お絵かきを学習することはかなり早かったように記憶しています。

マメタ父さん
マメタ父さん
かなり後になってわかったことですが、息子は典型的な視覚優位タイプです。

 そのころの息子は、「あそこにお化けがいる」「公園でお化けと話した」と嬉しそうに私に話してくれたものです。
 私は「へー」「どんなお化けさんだったの?」「お化けさんはなんて言っていた?」とたわいなく受け流していました。

 私は、息子の話を頭ごなしに否定したりすることはありませんでしたが、ときどきツッコミを入れて楽しんでいました。

マメタ父さん
マメタ父さん
関西人特有の県民性(ボケとツッコミが大好き)で、「お化けなのに足があるの?」なんて軽くジャブを打っていました。

 「そもそも子供なんて空想をおもしろおかしく話すものだ」と私は思っていましたので、特に息子の様子に違和感を感じることはありませんでした。

子供が妄想するお化けのイメージ: イラスト画像

息子の実例2: 突然、真夜中に現れた少年とは?

● 窓から部屋に入ってくる友人「メイジ」

 息子が中学校に上がってしばらくした頃、これまでとは明らかに様相が異なる「お化け」が登場します。
 名前は「メイジ」と言いました。息子にとってはメイジはお化けでなく、本当の実在人物と認識しているようでした。

 息子曰く、メイジは夜中になると、我が家の屋根を辿って息子の部屋の窓から入ってくるとのことです。メイジは息子と同級生の男子ですが、別の中学校に通っているようです。
 メイジは息子の部屋に頻繁にやってくるわけではなく、1ヶ月に1~2回くらいの頻度だったと思います。

 息子から聞いた「メイジの言動」は次の通りです。

例1: 真夜中、息子が寝ていると不意にメイジが窓からやってきて、息子のデスクでノートらしきものに何やら書いていた。メイジは息子に声をかけないまま、明け方に窓から出て行った。

例2: 夜中にやってきたメイジに息子が気付いて「どこから来たの?」と尋ねると、「遠くの中学校からやってきた」と答えた。通常、メイジは朝方まで息子の部屋の一角に座り、ボーッとしているが、ときどき息子に不可解な指示(例:だれも知らないところへ一緒に行こう! 明日は学校に行くな!)をすることがある。

例3: メイジは「実は中学校にはあまり行っていない」と打ち明けてくれた。理由を訊いても「なんとなく」ということだった。

例4: メイジは空を飛ぶことができるらしい。ある朝、メイジは窓からそのまま飛び立って行った。

 最初、メイジの話は息子の方から私に一方的に話てきました。息子の話は「妙にリアルだな」という印象でした。メイジの座っていた場所や窓からの出入りの動作が具体的だったからです。

 何よりも驚いたのは、メイジの話をする息子の顔が真剣であり、作り話のようには思えませんでした。

 私は息子の話に対して「へー」「そうなの」「不思議だね」などと割と真剣に返答していたように思います。
 私は息子との会話の中で、息子に質問したりすることはあえてしないで、息子の話が終わるまでじっと聴いていたように思います。

マメタ父さん
マメタ父さん
実際、息子一人しかいない部屋から真夜中に息子が誰かと話す声が部屋のドア越しに聞こえてくることもありました(携帯電話の通話ではない)。しかも、メイジの話は物理的には非現実的でありながら、出来事の説明が妙に事細かくリアルに思えたことから、 「もしかすると息子は精神的な問題を抱えているのかもしれない」と私はちょっと心配していました。

 メイジが現れてから1年くらい経つ頃には、息子にとってメイジは心の友と言えるような癒し系の存在になっていました。その頃になると、メイジが現れる頻度は少なくなりましたが(1〜2ヶ月に1回くらい)、メイジが現れた日は総じて息子は落ち着いていたように思います。

 そんな不思議なメイジと息子との関係性ですが、息子が中学校3年生になる頃にはメイジは全く現れなくなりました。やがて、息子がメイジの話をすることもなくなりました。

 偶然かもしれませんが、メイジが消えてから、息子の強度行動障害(ADHDとASDの二次障害で暴力・暴言・他害・器物破損・家出・脱走など)は徐々に収束していきました。

 ちなみに、メイジという名前の由縁に親として心当たりが全くありません

マメタ父さん
マメタ父さん
「メイジ」と「いじめ」は呼称が似ていることから、いじめと関係があるのかなと思って調べてみましたが、中学時代に息子がいじめを受けていた事実もありませんでした(小学3−4年生のときはいじめられていました)。息子本人に訊いても「わからない」とのことです。

息子の夢に現れる少年「メイジ」のイメージ画像

● 息子にとって、メイジはもう一人の母親?

 中学時代の息子は強度行動障害(特に家庭内暴力と2階の窓からの屋根を伝っての脱走)を頻繁に発症しており、学校および家族ともども息子への対応が非常に困難な時期でした。
 特に母親(ADHD&ASDの傾向あり・後に適応障害と診断)や妹(後にASD&睡眠障害と診断)との喧嘩が激しく、家庭内でのトラブルも多発していました。
 実際、なんども警察・消防車・救急車のお世話になりました。その際は、ご近所さんにも多大なご迷惑をおかけしました。

 当時、私は「息子の頭がおかしくなってしまったのではないか」と心配しました。また、メイジが幻覚であれば、統合失調症の可能性もゼロではないと疑っていました。

マメタ父さん
マメタ父さん
今となっては反省点なのですが、私も妻もこのことを息子の主治医に相談しなかったと思います。告白しても信じてもらえないだろうと思っていましたから。もし私たちと同じようなことを今の時点で体験されてりる方がいらっしゃれば、専門医に相談する方がよいと思います。

 さて、「メイジとはなんだったのか?」ということについて、今でも私はずっと自問自答を続けています。

 一つの仮説として、「息子の精神不安定を癒すような存在として、息子の暴走を食い止める存在として、息子の無意識の中に作り出された”もう一人の優しい母親像”だったのではないか」と考えています。

 中学時代の息子は母親と激しく対立して取っ組み合いの喧嘩することが頻繁にありましたが、それでも息子は心の奥底で母親のことを慕っていました。息子はこのジレンマから逃げ道を探していたのかもしれません。
 そのいとぐちとして、息子は、包み込んでくれるような、寄り添ってくれるような母性を無意識のうちに求めていたのではないかと思います。

マメタ父さん
マメタ父さん
もちろん医学的な根拠はありません。私の直感です。

● メイジは息子の小学校時代の旧友の化身?

 メイジの正体を考えようとすると、どうしても気になることがあります。それは、息子の小学校時代の出来事に起因します。

 息子が小学校6年生のとき、毎週日曜日になると我が家に遊びにくる女子(定型発達で成績はクラストップながら内向的でおとなしい性格)がいました。
 当人同士では「中学に上がっても友達でいようね」「一緒にゲームしようね」と約束していたようです。ところが、その女子のご両親が「中学生になったら男友達の家には遊びに行かないようにしなさい」とその女の子に忠告されたようです。実際、小学校を卒業した後はその女子が再び我が家に遊びに来ることはありませんでした。

マメタ父さん
マメタ父さん
いわゆる大人の事情というやつですが、異性の発達障害児の家に女子が一人で遊びに行くことに反対する親御さんの気持ちもわかります。

 息子はそのことを気にしているのかしていないのかはわかりませんが、それ以降はその女子のことを息子が話題にすることはありませんでした。たぶん「息子は傷ついただろう」と察します。

マメタ父さん
マメタ父さん
父親としては、ただただ切なく無力感を覚えずにはいられません!

 そのことと関係があるかどうかはわかりませんが、息子が中学生になると彼の家庭内暴力は激しくなっていきました。家の床は軋み壁が穴ポコだらけになりました。

 暴れた後、息子は私にこう言いました。「自分でも悪いことは分かっているけど、体が勝手に動いてしまう。自分では止めることができない!

 私の邪推かもしれませんが、「メイジとは、女子にふられた息子が寂しさを癒すために自らの無意識の中に創り上げた女子の化身ではないだろうか?」とふと思うことがあります。

発達障害者の沖田X華さんの幼少期:漫画「ニトロちゃん」の妄想を読み解く!

 沖田X華さん(おきたばっか)1の漫画「ニトロちゃん」は、沖田さんの小学校時代の失敗談を主人公のニトロちゃんに投影しておもしろおかしく描いた作品です。
 お話の多くは、本人の発達障害特性に因んだものです。その中で、上述の息子と類似したお話がありましたので、紹介します。

 ニトロちゃんは同級生によく話しかけるのですが、一方的に自分のことばかりを長々と話しすぎて、人の話を聞かないから、みんなからよく無視されていました。その寂しさを紛らわすかのように空き地の石と木に話しかけます

空き地にある石が ”石本君”
マジックで顔を描いた石に向かって、「うん、うん、そうだよね」

背の高い木が “細木さん”
「細木さん、寒くない?」

「3人だけじゃ、暇だよね。他の友達も探してくるね。」

中略(ニトロちゃんは浜辺で拾ってきた丸い小石14個を石本君と細木さんに見せて、それぞれの石に名前を付けていきます。)

ある日、ニトロちゃんは、「空き地で何時間も独り言を言っていたんだって!」とお母さんに叱られてしまいます(漫画ではお母さんは超お怒りの様子)。

空き地だと思っていたが、実は所有者が近くに住んでいて、ニトロちゃんは通報されてしまいました。

1年後、新しい家がそこに建って、空き地はなくなってしまいます。

「細木さん、細木さん」
それまでニトロちゃんは細木さんに話しかけ続けたのでした。

引用元: 漫画「ニトロちゃん みんなと違う、発達障害の私」 沖田✖️華=著 (説明補足にて一部加筆)
漫画「ニトロちゃん みんなと違う、発達障害の私」沖田✖️華=著  本の表紙画像
漫画「ニトロちゃん みんなと違う、発達障害の私」沖田✖️華=著 本の表紙画像

 ちょっぴり切ないお話ですが、誰も友達がいないニトロちゃんにとって石や木を擬人化して話しかけることはごく自然なことだったのかもしれません。ただ、ここまで空想の世界に浸れるのはASD(自閉スペクトラム症)の特性の賜物でしょう。

 さて、お母さんの叱り方は適切でしょうか? そもそも叱る必要がありますか? もちろん、ご近所さんから苦情が来たのですから、お母さんの腹立たしい気持ちもわかります。

 例えば、「ご近所さんから聞いたんだけど、ニトロは空き地で独り言をずっと言ってたんだってね。なんて言ってたの?」と優しく尋ねてあげれば、子供の心は随分と違った受け止めになっていたかもしれません。

 逆に見方を変えれば、ニトロちゃんの「豊な妄想力」と「細木さんへの気配り」に感心させられますよね。実際、この能力が後の漫画家としての物語構想に役立っているはずです。

 私は、この漫画を読んだことをきっかけに、「子供の言動の裏に潜むプラスの面を引き出してあげることがとても大切!」「決して頭ごなしに子供の言動を否定してはならない!」と常々自戒するようになりました。

マメタ父さん
マメタ父さん
テスラ社の代表取締役社長のイーロン・マスク氏(自身がASDであることを2021年に告白)の「天才はしばしば社会から拒絶される」と題したTwitterの趣旨と合致するよね。


⭐️ 関連記事2022年3月22日投稿を参照ください!

 発達障害児の言動に対して、親が大人の価値観や偏見で頭ごなしに何度も否定すると、やがて子供は自信を失い、自己肯定感がどんどん下がってしまいます。最悪の場合、自傷や他害などの二次障害に繋がることもあります。

マメタ父さん
マメタ父さん
本当に気をつけなきゃね!うちの子は二人(息子はADHD+ASD・娘はASD)ともまさにこれでした。

臨床心理学者ユングの傾聴力

 臨床心理学者の河合隼雄さん2は、「妄想の世界(無意識の世界)には、もう一つの真実があるのではないか」と主張されています。その事例として、彼のスイスのユング研究所での留学経験から、おもしろいエピソードを紹介します(河合氏の講演の録音から引用)。

 ユング派の心理学者のマリー=ルイズ・フォン・フランツ(スイス人)が、ユング(スイスの精神科医・心理学者)との会話を通じて、「月に行った」と言う精神病患者の発言をその患者特有の内面の事実として認識するようになったというお話です。

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引用元:wikipedia: Marie-Louise (Ida Margareta Freiherrin) von Franz

 河合隼雄さんの講演の文字起こしは次のとおりです。

【フォン・フランツとユングとのエピソード】

フォン・フランツさんは高校生のときにユングのところに招かれて行って、いろいろと雑談をしたんです。ふと、ユングが「最近、月から帰ってきた人に会ってね」と言う話を始めたわけです。

そうすると、フランツは女性でしたけど、合理的に物事を考える人でしたから、すぐに腹を立てて、「ユング先生、そんなバカなことはありません。人間が月に行けるはずはないじゃありませんか?」と抗弁したわけですね。

そうしますと、ユングがフランツに向かって「いや、私の知っている人は本当に月に行ったんだよ」と言うわけです。そのときに、何も説明していないんだけれども、「本当に月に行ったんだよ」というユングの言い方がフランツの心を打つわけです。

あっ、そうだと・・・
本当のこととして、この人は本当に聴いている人なんだと・・・
そこに、ユングが言う真実には意味が二つあると・・・
内的真実と言ったらいいんでしょうか・・・
「内的真実をユングは追求しているだ」ということが、はっと自分はわかったと・・・

そして、フランツはユングについて勉強しようとそのときに決心するわけですね。

引用元: CD講座「こころを処方する ユングの心理学」 河合隼雄=著
CD講座「こころを処方する ユングの心理学」 河合隼雄=著 CD+ケースの表紙画像
CD講座「こころを処方する ユングの心理学」河合隼雄=著 ケース表紙+中身のCDの画像(旧品:現行品はケースのデザインがリニューアルされています。)

 河合氏は、フォン・フランツの体験談を引き合いに出しながら、「ユングのすごいところは、人生に悩んでいる人の無意識の世界あるいは内的な世界にある真実を追求していこうとしたことなんだ」と述べています。

 実際、ユングは「月に行かれたんですね」「月でどんなことがおこりましたか?」「どうやって帰ってこられましたか?」などと質問しながら、その人の内面を深掘りして「その出来事がその人にとってどういう意味があるのか」と考えていったそうです。

 この話を聞いたとき、私は「かつて息子が上述のメイジ(架空の友人)の話を語ってくれたとき、私は「本人にとって何か特別な意味があるかもしれない」という視点を持ちながら、もっとしっかり聴くべきだったと大いに反省しました。
 振り返ってみますと、私は息子の話を否定せずに聞いていたものの、心のどこかで「息子は夢と現実を混同しているのではないか」と疑ってしまうこともあったように思います。

 河合氏の講演CDを聞いて以降、私は「内面の世界にある本人特有の真実」という考え方に強く惹かれるようになりました。
 もしかすると、「ユングのような “聴く態度” は発達障害児の創造性を引き出す上で役立つかもしれない」と考えるようになりました。


《補足》
河合氏は傾聴による内面の真実を深掘りすることの重要性を主張しつつも、その語り手に統合失調症の可能性がある場合、逆に症状を悪化させる場合があることを指摘しています。

「一口に傾聴と言っても、どこまで深掘りするべきかという点は非常に難しく、対応は極めて慎重でなければならない」と述べています。

「聴く」とは「無条件に受け入れる」こと?

 息子は小学校の高学年になったあたりから癇癪を起こすことが増えていきました。そして、中学校に入学したあたりから、強度行動障害(家庭内暴力・他害・奇声・脱走など)が深刻化していきます。

 ただ、息子の言い分を聴いてやると、落ち着きを取り戻すことも多々ありました。息子の言い分は客観的に見れば自分勝手で理不尽なものですが、それでも否定せずにずっと聴いていると息子は自分の世界に没入するかのように自分の思いの丈を話し始めるときがあります。そして、あるタイミングで本人もなんとなくスッキリしたような表情を浮かべて自分の部屋に帰っていきました。

 息子の癇癪の原因の多くは、妻や娘との衝突でした。そんなとき、父親は彼のフォロー役をすることになるわけですが、息子は自分の言い分を聴いてもらえたという体験が「自分が他人に受け入れた」という認識と満足感につながったのかもしれません。

 米国の臨床心理学者であるロロ・メイ3は著書「存在の発見」の中で、「人が不安や孤独から解放されるためには、信頼できる他者に受け入れてもらうことが必要だ」と述べています。

 そう考えると、「とことん聴く」ということの効用は「良い悪いはともかく、我が子の言い分を無条件に受け入れる」ということなのかな、と思います。

単行本「存在の発見」ロロ・メイ=著  伊東博&伊東順子=訳 本の表紙画像
書籍「存在の発見」ロロ・メイ=著 本の表紙画像

「聴く」は親子関係を修復する!

 上述のとおり、癇癪を起こした息子の言い分を聴いてあげることは重要なのですが、それだけでは本質的な問題解決にはならないようにも思います。
 そこで、私は息子が落ち着いたときに、「困ったときは次から○○しようね」「まずはお父さんに相談してね」などと声をかけていました。

 それでも、息子が同じような問題で癇癪を繰り返すことが何度もありました。ただ、不思議と親子関係が険悪な雰囲気になることはほどんどありませんでした。

 一方、妻は息子と喧嘩しても、いつも1−2日ほどで自然と仲直りしています。妻と息子との衝突の回数は頻繁でしたが、それが尾を引くことは滅多にありませんでした。
 妻の言動をよく観察していると、妻は息子と喧嘩した日の翌日には、あたかも何もなかったかのように普通に息子に話しかけていました。そして、いつもの日常会話を自然な形で息子と交わしていました。

 微妙なタイムラグはあるものの、妻は自分なりのやり方で息子の声を聴いていたのです。そして、結局のところ、息子はお母さんが大好きです。

マメタ父さん
マメタ父さん
これが母性という女親の特権かもしれません。

 なんだかんだ言いながら、どういうわけか、我が家はいつもギリギリまで追い込まれながらも、なんとか持ち堪えています。

 ちなみに、「聴く」の効用は、親子に限ったことではなく、夫婦関係や兄弟姉妹関係にも言えることだと思います。

「聴く」が子供の自力を育てる!


 ところで、ユングやフランツが言うように「息子の話を聴く」ということが「子供の内面の世界(無意識の世界)にある真実を引き出す」ということに繋がるのなら、それによって子供はどのように変化するのでしょうか?

 最近、こんなことがありました。2月23日の投稿記事に書いたのですが、不登校の息子が復学する条件として学校から「校外学習を保護者同伴でお願いしたい」と言われたとき、息子は激怒して部屋に閉じこもってしまいました。

 そこで、私は息子の希望をじっくり聴きました。当初は息子を説得するつもりだったのですが、実際はそうすることはできず息子が一方的に喋りまくって終わりました。このとき、私は復学を半々くらいで諦めていました。

 その数日後、息子は一人で学校側と交渉して、学校側が提示した条件を撤回させました。これは息子が自力で対外的な問題を解決した初めてのケースでした。親としてもびっくりで、息子が頼もしく感じました。

 この経験から、私は「説得するではなく、ただひたすら聴く」ということが「息子が自分の問題としてなんとかしようという意識」を芽生えさせたのかもしれないと感じました。

マメタ父さん
マメタ父さん
結果論ですが、ぶっちゃけ、息子を説得しなくてよかったと思いました。

 もちろん、単なる偶然かもしれませんし、結果論かもしれません。ただ、それ以来、息子の内面に秘めた可能性のようなものを私は感じるようになりました。

マメタ父さん
マメタ父さん
私は単なる親バカかもしれません。

 実際、その後の息子は徐々に自分の意思で物事を決定することが多くなっていきます。いわゆる当事者意識が育ってきたのかもしれません。稀に、自力でやり遂げてしまうこともあります。

マメタ父さん
マメタ父さん
息子の変化については追って記事にする予定です。

「聴く」はすべての親が共通して我が子にしてやれる唯一の教育!

 「聴く」によって、上述のような親子関係が改善されたり、子供の可能性が引き出されたりすることが必ずしも起こるわけではありません。むしろ、ほとんどの場合、何も起こりません。

 時には逆効果もあります。実際、息子は妄想にともなう根拠のない自信から「男一匹、がんばるぞ!」みたいな気持ちになることがあります。
 それを私が肯定的に聴いていると、息子はテンションが上がりすぎて後で必ず体調不良になります。最悪の場合、余計に話がこじれて喧嘩になったり、他の子供たちとトラブルになったりして収拾がつかないこともあります。
 これは私の傾聴が結果的に息子の妄想や歪んだ認識を強化してしまった失敗例ですが、息子はこの失敗経験を通じて学べることもあるのではないかと思います。

 結果的に逆効果であったとしても、私は「それでも聴きなさい」「それでも我が子の声に耳を傾けなさい」と自分自身に常に心がけています。

 私は人から発達障害児への対応についてのお悩み相談を受けたとき、まず最初に「お子さんの声を聴いていますか?」と尋ねることが多いです。
 なぜなら、「聴く」ことはすべての親に共通してできる唯一の教育だからです。

 もちろん、お金がないと、発達障害児に良い教育や治療を受けさせてあげれないかもしれません。親に一般教養や医学に関する知識があった方が発達障害児に対してより適切な指導ができるのかもしれません。

 仮にそういうものがなかったとしても、「我が子に寄り添い、障害児の内なる声に耳を傾けること」は、程度の差はあれ、たぶんほとんどの親がやればできることではないでしょうか?

 もちろん、「言うは易し、行うは難し」であることは確かです。まずはできる範囲で始めて、徐々に習慣化していけば良いと思います。

マメタ父さん
マメタ父さん
そういう私もいつもできているわけでありません。

「聴く」は必ずしも共感ではない。

 ここまで読んでいただいた方は、聴くことの効果をある程度はご理解いただけたのではないかと思います。それでは、聴く側である親はどのような心構えであるべきでしょうか?

 結論から先に申しますと、必ずしも子供の気持ちに共感できなくてもかまいません。また、子供の言い分を積極的に肯定する必要もありません。
 そもそも、今まで子供を否定し続けた親が急に心を入れかえて子供の気持ちを理解しようとしても、そう簡単にできるものではないからです。

 もし、親がわかったようなふりをしようものなら、子供は直感的に一瞬にして見抜きます。往々にして発達障害児は健常児よりも敏感です。

 親は子供の側に寄り添い、心を無にして子供の声をじっと聴くだけでいいのです。「そんなばかなことがあるか!」と心で思ったとしても、子供の言動を否定してはいけません。
 「おー」とか「へーえ」と感嘆しながら、あるいは「そうなんだ」「そんなことがあったんだね」と言いながら繰り返しうなづくだけでOKです

 ときには、子供がなかなか話してくれないときもあります。それどころか、わざと口をきいてくれないときもありますよね。年頃になれば、なおさらでしょう。
 そんなときは、「おはよう」「おやすみ」「いってらっしゃい」「おかえり」と笑顔で声をかけるだけでOKです。子供に無視されてもかまいません。子供はきっとなにかを感じ取ってくれますから。

マメタ父さん
マメタ父さん
私の経験では、あるとき偶然に本人になんらかの気づきがあって、初めて流れが変わるように思います。不思議なことに、親が子供と交わした会話や出来事の内容とは全く関係なく、突如として山が動き始めます。

参考情報

●オススメ書籍のご紹介:

:沖田✖️華(漫画家)
・漫画「ニトロちゃん みんなと違う、発達障害の私」

:河合隼雄(臨床心理学者・教育学博士・京都大学名誉教授)
・CD講座「こころを処方する ユングの心理学」

:ロロ・メイ(米国の臨床心理学者・人間性心理学の第一人者)
・書籍「存在の発見」

●【投稿記事】親は発達障害児の非常識を肯定できるか? 発達障害と普通との違いを考えよう!

●【まとめ記事】学校教育(特別支援)と家庭知育(習い事・資格)

●【まとめ記事】子育て/家事/仕事の両立

●【まとめ記事】発達障害者(知的障害を含む)のご家族の学歴とキャリアの成功事例

●【まとめ記事】発達障害に関する参考コンテンツ(書籍・動画・芸術・報道)

以上

2022年4月5日配信・2023年11月12日更新

マメタ父さん