ショートショート

創作奇譚1 “校舎に宿る黒ウサギ” 

はじめに

 本投稿では、ショートショート 処女作 ”校舎に宿る黒ウサギ” を発表します。実話をもとにアレンジした物語です。

 物語のあらずじは次のとおりです。不登校児のケンが飼っていた黒ウサギが小学校に逃げ込んていなくなってしまいました。それがきっかけで、ケンは黒ウサギを探すために毎日登校するようになるのですが、普通学級には馴染めず、特別支援学級で好きな絵を描いて過ごしていました。
 そんな中、転校してきた謎の美少女 ”アイ” との出会いが、ケンとその家族の運命を大きく変えてしまうのです。


《創作ショートショートのテーマ》 

 辛い毎日から逃れるために、思考と感情のバランス調整の一環として掌編小説(ショートショート)の創作を始めました。

 「発達障害児の世界」と「健常の大人の世界」とが不連続に交錯融合する「奇妙で切ない不条理の世界」が主題です。具体的には、発達障害者・精神障害者・生きづらさを感じている人々・世の中の偏見や差別に苦しんでいる人々が登場する物語です。

 およそ2,000文字から10,000文字の範囲で創作していますので、5−10分くらいで読めます。

本編:校舎に宿る黒ウサギ

 私は、黄泉の国にやってくる死者の霊をお迎えする僧でございます。現世では、どこにでもいるような普通の会社員だった私は、家族との壮絶な葛藤を経て51歳で出家し、仏門に入りました。
 その13年後、なんの因果か、気がつけば、天に召されていました。今となっては、これでよかったのだと納得しています。そのいきさつを聴いていただければ幸いです。

 現世で、私は37歳のころ、バブル崩壊直後の平成大不況の中、長年の夢であった「海の近くの一軒家」を思い切って購入しました。高額のローンを組んでいましたから贅沢こそできませんでしたが、妻・息子・娘の4人家族で、人並みに睦まじく暮らしていました。

 息子の名前はケン。健康の健という字を書きます。ケンは幼少のころから随分と変わった子供でした。小学生になってからも素行は荒く、勉強は大嫌いで、特に算数がダメでした。
 運動も苦手で、一番低い段の跳び箱さえも跳べませんでした。そのせいなのか、同じクラスのわんぱく少年に首を絞められたり、後ろから不意に背中を蹴られたりして、泣いて帰ってくることもありました。

 小学校3年生になったころからケンは徐々に精神的に不安定になり、起床できない日が増えていきました。4年生になって間も無くして、完全に不登校になってしまいました。
 その原因は、授業についていけないことやいじめられたことに加え、担任の先生からきつく怒られたことがトラウマになってしまったようです。

 そもそも、ケンは教室でじっとしていることができませんでした。時には授業妨害をすることもあったようです。休み時間でも、他の子供達と一緒に楽しく遊んだりすることもありませんでした。ケンはいつも独りぼっちでした。家に帰ってきてからも、妻からきつくしかられたり、どなられたりと散々でした。

 ケンにとって家で飼っている黒ウサギの「ゴロ」が唯一の友達でした。ちなみに、名前の由来はというと、「ゴロは動きが鈍くて広いゲージの中でいつもゴロゴロしているから」という単純な理由でした。
 ゴロは全身が南部鉄器のような肌触りの黒色なのですが、額のあたりに白い毛で覆われた星形模様がありました。2年以上も飼っていたのですが、不思議なことにゴロはほとんど成長することもなく、見かけは子うさぎのままでした。

 一方、私は仕事が忙しく、出張で家を留守にすることが多く、ケンにかまってあげることがあまりできませんでした。そして、私たち夫婦もケンのことで喧嘩が絶えることはありませんでした。
 そんな中、ケンは徐々に居場所を失っていったのでしょう。ケンが自分から私に話しかけてくれることはだんだんと少なくなっていきました。そして、私自身も理性が少しずつ蝕まれていくような憔悴感が募っていきました。

 5月ごろだったでしょうか、生暖かい浜風が弱弱しく吹いている日でした。黒ウサギのゴロが急に餌を全く食べなくなったことをとても心配したケンが、ゴロを両手で抱えて動物病院に連れて行く途中のことでした。
 ケンがちょうど小学校の近くを通りかかったとき、突然、ゴロが暴れ始め、逃げ出してしまったのです。追いかけるも、ゴロはあっという間に校庭の中に入り込んでしまいました。ケンは一生懸命に追いかけましたが、ゴロはとうとう体育館の裏側に消えてしまいました。
 ケンは気が動転し、必死で学校内のあちこちをくまなく探したようですが、ゴロを見つけることはできませんでした。夜も更けたころ、ケンは泣きながら家に帰ってきました。私が声をかける間もなく、ケンは一部始終を私たち家族に話してくれました。
私はケンに「明日、学校に行って一緒に探してあげるよ」と慰めると、ケンは少し落ち着いたようでした。それでも、夜中遅くまで、ケンのすすり泣く声が彼の部屋から聞こえていました。

 翌朝、私が起きると、ケンはもう起きていました。それどころか、寝巻きのままで外に出ようとしていました。「どこいくの」と声をかけると、「ゴロを探しに学校にいく」と言うのです。私は会社に休みの届けを出すや否や、ケンを連れて学校に向かいました。2時間以上もあちこち学校内をくまなく探し回ったものの、残念ながらゴロを見つけることができませんでした。

 不登校だったことが嘘のように一転して、ケンはそれからほとんど毎日、学校に通い始めました。1週間、2週間、3週間とケンの捜索活動はのらりくらりと続きましたが、ゴロはついに見つかりませんでした。

 ケンは学校に行っても、ゴロを探すことが目的ですから、授業を受けるわけもなく廊下や校庭をうろうろして歩き回っているのです。先生方もどうしていいものやら、頭をかかえていました。そんな中、校内では「ケンくんは頭がおかしい子」といううわさが立ち始めました。

 あるとき、2年生の男の子から「バーカ」とからかわれて、いたたまれずその子を殴って怪我をさせてしまったのです。その子のお母さんはカンカンにご立腹との連絡が入り、ケンを連れて妻とともに謝りに行くことになりました。

 ところが、ケンが「おとうさんは来なくていい」と頑なに言うので、やむなく妻がケンを連れて二人で謝罪にいきました。ケンは神妙にしていたようですが、謝ることはできませんでした。それを伝え聞いた私の心の奥底で、何かがポキンと折れる音が聞こえました。

 ケンは、うさぎが夜行性であることを思い出したのでしょう。ケンはあたりが暗くなったのを見計らって、こっそりと家を出ました。
 懐中電灯をもって学校に忍び込み、ゴロを探し回ったようです。結局、ケンはゴロを見つけることができず、学校に住み込みで働いている用務員のおじさんに保護されました。

 大目玉を食ったのかと思いきや、なんと用務員のおじさんは怒ることもなく、しばらく一緒にウサギを探してくれました。そのとき、ケンが「校庭の隅にひっそりと立っている栗の木の根元をじっと見つめながら、こうつぶやいたというのです。「ゴロ、元気でね、バイバイ・・・・・」

 一方、我が家では、夜の10時を過ぎてもケンが家に戻ってこないので、大騒ぎになりました。車で30分ほど離れた実家からおじいちゃんとおばあちゃんもやってきて、家族総出でケンを探しているところでした。
 そうこうしているうちに、用務員さんから電話があり、ケンが学校にいることを知らされました。早速、私と家内は学校に行き、用務員のおじさんには何度もお礼を言って、健を連れ帰りました。

 その後、ケンはゴロを探すべく、いろいろなペットショップを見回っているということを娘から聞かされました。「ゴロは寂しくなって友達うさぎのところに遊びにいっているかもしれないとお兄ちゃんが言っていた」というのです。
 かくして、学校でもペットショップでもゴロは見つかりませんでした。それでも、ケンは妹にこう言い張るのでした。「ゴロは地下の奥深くにある動物村に潜んでいて、寂しくなったらポッと地上に現れるのだ!」と。

 ゴロがいなくなって1ヶ月が過ぎたころ、ついに事件は起りました。たまたま、その日、私は体調不良で早退して夕方に帰宅したのですが、ケンが家の屋根の上で身動きできず、泣き叫んでいたのです。
 妻は取り乱していました。事情を聞くと、彼女がケンを厳しく叱ったようで、それに逆上したケンは「死んでやる!」と言って、部屋の窓から屋根の上に降り立ってしまったとのことでした。どうすればよいのか、私は気が動転して、うろたえるばかりでした。

 ケンには重篤な情緒障害がありますから、不用意に声をかけるとびっくりして屋根から転げ落ちる恐れがありました。しかも、つい先ほどまで降っていた大雨のせいで、瓦はまだ濡れた状態でした。あたりは薄らと暗くなっていました。ケンの姿も概ねシルエットとなりつつありました。

 私はケンに向かって「落ち着け、大丈夫だよ。今、そっちに行くから」と優しく声を何度かかけましたが、ケンは「お父さんは来ないで」と頑なに私を拒否しました。私は焦りだけがどんどんと募っていきました。

 妻が消防署に通報していたようで、やがて消防員が自宅にやってきました。消防車のサイレンはなく、いつしか日は沈み、あたりはもう真っ暗になっていました。遠くに光る外灯の明かりでケンの姿は黒い塊にしか見えなくなっていました。

 消防員は窓からケンを見つけると、穏やかな声で「大丈夫だよ、今、そっちにいくからね、じっとしているんだよ」と繰り返し呼びかけました。
 そして、消防員が窓から屋根の上に出ようとした、そのときです。ケンは自ら飛び降りたのです。ドタッ!!! 家中に鈍い音が響きました。

 私は転がるように階段を駆け下り、外に出ました。庭の芝生に少し沈み込むように尻もちをついているケンを見つけるや、「大丈夫か?」と叫びました。ケンは放心状態で声を出すことができません。
 そこで、私はケンの肩に手をかけて、「痛いところはないか」と小さな声で話かけました。数秒の沈黙の後、ケンはゆっくりと立ち上がり、うなずきました。

 特段の怪我の様子は見当たりませんでした。ケンの手足の土を払い、よく観察しましたが、かすり傷さえもありませんでした。昨夜から降り続いた雨水をたっぷりと含んで軟らかくなった土と芝生の若葉がクッションになったのだろうか。私は少しホッしたものの、緊張が解れることはありませんでした。
 その直後に、パトカーと救急車がやってきました。やがて、ケンの担任の先生もやってきました。私は対応に追われ、バタバタとその日が終わりました。ケンはしばらく部屋にひきこもったままでした。

 なんどもケンに声をかけるチャンスはあったのですが、私にはできませんでした。私は、身体中の血管が1センチごとに小さく破れて、そこから漏れ出した疲労物質がリンパ節へと転移していくかのような困憊感の広がりに侵食されていきました。

 この時、私に悪魔が囁くように耳打ちしたのです。「いっそのこと、息子を巻き添えに心中したら楽になれるぞ、家ごと燃やしてしまえ」と・・・。

 それからといもの、ケンはしばしば遅刻するようになりましたが、というよりも登校するときはほぼすべて遅刻でしたが、ポツポツとながらも学校に通い続けていました。不思議なことに、ケンが再びゴロを探すことはありませんでした。
 この事件をきっかけに、ケンは特別支援学級に移りました。そこでは、カウンセラーの先生と一緒に将棋や五目並べをしたり、絵を描いたり、木や紙で工作したりして過ごしていました。

 相変わらず学校になじめないケンでしたが、ひとつだけ得意なことがありました。それは動物の絵を鉛筆で細密に描くことです。わずか5センチ四方ほどの紙切れに描かれた動物は、今にも飛び出してきそうなほどの写実でした。

 そんなケンの絵に興味をもった女の子がいました。名前は「アイ」。アイちゃんはケンよりも1学年上級で5ヶ月ほど前に転校してきたのですが、すでに成績は学年でダントツのトップでした。
 でも、なかなかクラスには馴染めず、友達もいなかったようです。そんなアイちゃんとケンがどうやって知り合ったのかは不明なのですが、アイちゃんは休み時間になるとケンがいる特別支援クラスにやってくるようになりました。

 アイちゃんはケンからもらった動物の絵を1枚ずつ白紙のノートに糊で貼り付けていました。あるとき、ケンが描いたゴロの絵を見て、アイちゃんはこう言ったというのです。「このウサギ、体育館の裏で見た!」と・・・。

 アイちゃんは、いつしか日曜日になると我が家に遊びにくるようになりました。アイちゃんのご両親はすでに他界されて、彼女は祖母と二人で暮らしていました。そこから、徒歩で1時間近くもかけてわざわざやってくるのでした。

 妙に大人びた顔立ちながら、色白の美しい少女でした。アイちゃんは、カラフルなスカーフをいつも頭に巻いていました。額に醜い傷痕があるという噂がありました。

 ケンによると、アイちゃんは大きな物音を聞くと怖くて動けなくなってしまうというのです。実際、こんなことがありました。
 アイちゃんが我が家に遊びにきていた時、家のすぐ前の道路で「キッキー」という車の急ブレーキの音がけたたましく響いたのです。すると、アイちゃんは急に怯えだしたのです。しばらくの間、彼女の体が小刻みに震えて、顔面蒼白だったことを憶えています。

 そんなアイちゃんですが、ケンとはなぜか馬があったようです。二人にとって、日曜日の午後はおそらく互いに特別な癒しの時間になっていたのではないでしょうか? ケンの部屋からは、二人の楽しそうな笑い声がよく聞こえていましたから。

 そんな中、私の心の内は穏やかではありませんでした。ゆっくりとゆっくりと・・・潜在意識の奥底に潜んでいた悪魔が姿を現し始めました。
 私が写経を始めたのは、そのころでございます。一軒家を購入してから、ちょうど7年が経過しておりました。

終わり

PS: 本創作ショートショートは、他のSNSで2021年6月9日に発表しました原作をわずかに改作したものです。

参考情報

●【投稿記事】創作詩「裏山の一夜」2024年9月14日 投稿

●【まとめ記事】その他のショートショート(掌編小説)

2022年1月11日

香月 融