はじめに
昨年度8月14日に記事投稿して以来、半年ぶりに本ブログの記事投稿を再開することにしました。ちなみに、家族の近況報告は昨年度7月27日以来になります。
8月以降は家族に様々な波乱があり、家族全員が精神的に不安定な状況に陥ってしまいました。それゆえ、私はブログを書く余裕は全くありませんでした。
実際、私は新たに記事を書く気力を完全に喪失していました。さらに、ブログやSNSも含めて「これまでの発達障害者家族の奮闘記録を跡形もなく葬り去りたい」という衝動にかられることも何度かありました。
もし、今の家族の苦難が改善されないまま長期間続くようなら、本アカウントを閉鎖するつもりでした。
ことの発端は、息子が9月に高認試験に合格したものの、高校への復学に失敗してしまったことです。
そして、紆余曲折を経て、最終的に卒業式を待たずして高校中退が確定しました。本人もその現実を受け入れました。
実際、親としては残念な気持ちが強いですが、私は開き直ることにしました。この数週間、気持ちを前向きに切り換えていく中で、ブログを再開してみようという意欲が徐々に沸いてきました。
本投稿では、2022年8月から2023年2月までの家族4人のそれぞれの出来事を時系列にそって報告します。
息子 (高3・ADHD+ASD/療育B2) : 高卒認定に合格したが、不登校のまま3月に退学予定
昨年度7月以降から今日までの息子の状況を次のとおり時系列で示します。
2022年5月下旬:
・退院(精神不安定で4月から1ヶ月入院)
2022年6月上旬〜7月下旬:
・8月の高卒認定試験の受験勉強
・9月から始まるスクーリング(通信制高校で実施される5日間の合宿授業)に向けての課題勉強
2022年8月4〜5日:
・高卒認定試験(社会1科目と理科1科目)を受験
2022年8月6日〜8月末:
・スクーリングに向けての課題勉強を継続
2022年9月1日:
・高卒認定試験に合格(7科目は高校2年までに取得した単位にて免除)
2022年9月上旬:
・スクーリングに向けての課題勉強が継続できなくなり、9月実施予定だったスクーリングへの参加を断念
・精神不安定になり、引きこもり状態に突入
2022年10月:
・引きこもったままだが、精神不安定は徐々に回復(高校復学の意欲はあるが行動が伴わない状態)
2022年11月:
・コンビニのバイトを開始(「働く」という人生初の経験)
・高校復学の意欲はあるが、行動に移すことはできなかった。
2022年12月:
・体調に気を配りつつ、週2〜3回のペースでバイトは継続
・勉学の意欲はあるものの高校復学には至らず、高校中退の可能性が高まった。
2023年1月上旬:
・正月は家族4人で穏やかに過ごすことができた。
2023年1月中旬
・息子はバイト先でのトラブルと体調不良が原因で約1ヶ月間ほどバイトを休んで自宅療養
2023年2月上旬:
・バイトに復帰
2023年2月中旬:
・息子は娘との大喧嘩がきっかけとなり(妻の暴言に対する怒りも爆発)、精神不安定で3日入院
2023年2月下旬:
・息子は退院後、落ち着きを取り戻して家族との人間関係も概ね回復
息子は5月に退院して以降、8月の高卒認定試験の受験勉強と9月から始まるスクーリング(通信制高校で実施される5日間の合宿授業)に向けての課題勉強を続けていました。平均して、それぞれ1時間程度の勉強を毎日コツコツと真面目に続けていました。
ちなみに、私が勉強のタイムスケジュールを作成し、息子の特性に合わせてマンツーマンで指導しました。特に、土日は勉強の仕方やの問題を解くテクニックを事細かく教えました。
息子は高認受験が終わった後も、高校への復学に向けてスクーリングの課題をこなしてしました。
そして、8月4〜5日に受験した2科目に合格し、すでに高校2年までに単位取得済みの免除科目と合わせて高認の要件を満たしたため、9月1日に正式な合格通知が書面で届きました。
家族みんなで喜びました。本人にとっても、自分なりの努力が実った初めての成功体験だったと思います。
ところが、息子はこの日から高校のスクーリングのための課題勉強を全くしなくなってしまいました。高認の受験勉強で燃え尽きたというわけではなく、どういうわけか勉強が手につかなくなってしまったのです。
担任の先生も自宅に訪問していただき、本人を励ましていただいたのですが、逆効果でした。結局、9月に実施予定だったスクーリング参加は断念せざるを得ませんでした。息子は精神不安定になり、自室に籠ることが増えていきました。
私は息子の部屋を幾度となく訪れて、「高卒資格と高認との社会的評価の違い」を丁寧に説明して高卒の重要性を説いたものの、残念ながら息子は聞く耳持たずという態度でした。
それに呼応するかのように妻のうつ病が悪化し、妻は10月から心療内科に入院しました。そんな中、突然、息子が「働く」と言い出しました。私は勉強と両立することを前提に渋々容認しましたが、この時点ですでに息子は勝手に履歴書を準備してコンビニのバイトに応募していました。
「思いついたら後先を考えずにすぐ実行」というADHD特性も手伝って、息子は11月からコンビニで週2〜3回のペースで短時間勤務を始めました。これが結果的に息子のメンタルを回復させていきました。
結果論ですが、バイトは超自己中心主義の息子が社会性を学ぶうえでも大いに役立ったと思います。実際、「お金をもらって働くということは責任がともなう」という自覚が芽生えたようです。
11月以降は妻も退院して自宅療養を続けていましたが、2023年の正月を迎える頃には家族みんなが概ね穏やかな精神状態になっていました。
ところが、安心するのも束の間、1月後半になると息子は体調不良や家庭内不和による精神不安定が重なり、いよいよ高校復帰は断念せざるを得ない状況になりました。事実上の高校中退です。
本人曰く、「当面はバイトを続けながら、時間をかけてゆっくり将来の方向性を模索したい」とのこと。
妻(主婦・うつ/障害3級&ADHD+ASDの傾向あり):うつが悪化して10月に1ヶ月入院 → その後は自宅療養にて昼間はほぼ寝たきり
息子の高校復学が失敗に終わり、妻もかなり憔悴していたようです。また、季節の変わり目は体調が崩れやすい時期でもあるので、体力と精神の両面で疲弊してしまったのでしょう。妻はうつが悪化してしまいました。
結局、妻は10月から1カ月間入院しました。妻が不在の間、子供たちの世話と家事は私がやりましたが、コロナ禍のためテレワークだったのでなんとか両立できました。
妻の入院期間中、子供たちは割とおとなしくしてくれていましたので、大きなトラブルもなく乗り越えることができました。
妻は退院後、自宅療養しています。11月上旬からリハビリも兼ねて週2回×3時間のパート(食品加工の軽作業)に復帰しました。
ただ、昼間はほとんど寝ていることが多く、うつ病からの回復の難しさを実感する毎日です。
妻は今もなお笑顔はほとんどありません。それでも、洗濯と炊事はきちんとやってくれています。掃除や片づけは苦手のようなので、必要に応じて臨機応変に私がやっています。
娘(高2・ASD+睡眠障害):家事と勉学はマイペースで自己管理
娘のことが一番心配だった時期は妻が入院した1カ月間(2022年10月)でした。
娘は娘は通信制高校に通っていますので、平均して週1の通学です。妻の入院時はやむなく自分でスケジュール管理せざるを得ない状況でした。娘は重度の睡眠障害がありますが、薬を服用しながらうまく時間管理していたようです。また、自分の分の洗濯・掃除・自炊はすべて自力でやっていました。
一方、娘も息子と同様にコンビニ(息子の勤務店とは別)のバイトを週3回×4時間の頻度でやっていましたが、無遅刻無欠勤だったようです。
ただ、友人との夜遊びで帰宅が12時を超えることもときどきありました。特に妻が入院中の時期、私は「どうして娘はこんなたいへんなときにわざわざ親を心配させるようなことをするのだろうか?」とかなりへこみました。
それでも、私はあえて怒ったりせずに、娘の自浄力が芽生えるのを待ちました。当時の私の心境を綴った Twitter 投稿を紹介します。
「夜遊びが絶えない娘にどのように接するか」については随分と悩みました。あるとき、私は「夜遊びに関しては娘に注意しない」と決めました。なぜなら、仮に注意したとしても娘は変わらないことが直感的にわかっていたからです。
私は何もなかったかのように自然体を装いつつ、「困っていないかい?」と娘への声掛けだけは定期的にするように心がけました。
妻が退院して自宅に戻ってくると、娘の赤ちゃん返りの頻度が増えていきました。娘は同姓である母親だけに心を開いているので、寂しい思いをした反動がでることはやむを得ないのかもしれません。
ちなみに、妻もまた子離れできないという問題があります。結局のところ、互いに依存し合うことで、双方のメンタルが保たれているというのが現実です。私は過去にこの点を妻に指摘したことがありますが、今は黙認しています。
私(サラリーマン/通販営業職・定型発達):さすがに今回は「出口がないトンネル状態」と覚悟しました!
過去にも絶体絶命の苦難は幾度となくありましたが、息子がスクーリングに参加できなかったことへの失望感と高校中退への危機感が一機に高まりました。
また、妻の精神状態も芳しくなく、「この先はいったいどうなってしまうのか?」という不安でいっぱいでした。
こんなときに限って仕事では大口の法人案件を手掛けることとなり、超多忙な毎日へと変貌していきました。そのうち、耳鳴りや頭痛が2日に1回の頻度で起こるようになりました。そのとき、ふとこう思いました。
今、私が倒れたら家族はどうなってしまうのだろう? 妻の入院中は、「”とにかく大きなトラブルなくやり過ごすことができれば御の字”と心得よう」という心構えでした。
私はやむなく自分自身の体調維持を最優先させることとし、子供の世話・仕事・家事において次のとおり「やるべきことの優先順位と労力バランス」を決めました。
●労力バランス
息子:娘:妻=5:3:2
●優先順位
1:家族の世話
2:仕事
3:家事(子供たちには、必要に応じて自分で判断してお弁当またはお惣菜を買って食べてほしいとお願い)
結局、妻が入院して1カ月、私と子供たちは微妙な緊張感とよそよそしさを互いに感じながらも小さないざこざ程度で踏ん張り、なんとか家族3人だけの共同生活が終わりました。
妻は退院した後も自宅療養が続いていますが、妻が自宅に居るだけで子供たちの精神状態は徐々に安定してきたように思います。
妻はリバビリも兼ねて、短時間のバイトを再開しました。ちなみに、ボランティアの子ども食堂の運営(毎月1回のお弁当作りとそれを楽しみにしている子供たちが居る各家への配送)は楽しそうに継続しています。多分、精神不安定な状態でも、自分が好きなことは割と容易にできてしまうようです。
そして、冬休みに入って大晦日~正月3賀日は家族4人そろっておだやかに過ごすことができました。
ところが、上述のとおり、今年1月に息子がバイト先でのお客様とのトラブルがきっかけで1カ月ほどバイトを離脱しました。さらに、2月に入ると息子は娘との兄妹喧嘩と妻の暴言がきっかけで精神不安定となり、心療内科に入院となりました。
このとき、私は息子・娘・妻に共通した特性として「倫理観と共感性の欠如」をあらためて痛感しました。残念ながら、これらの概念を言葉で教えることは容易ではありませんよね。
私は自力ではどうすることもできない無力感に襲われ、ある意味で「諦めの境地」を実感しました。正直、今回ばかりは私が秘めていた微かな希望が根底から崩れていきました。詳細は別途記事にしたいと思います。
編集後記(加登伶さんのSNS引退について思うこと)
私が本ブログを再開した理由はもう一つあります。
2月8日に youtuberの加登伶(ASDと双極性障害)さんが YouTube, Insrtagram, Twitter などすべてのSNSのアカウントを削除して、情報発信活動から引退しました。
彼女がアカウントを削除する動画 「Youtubeライブ ”やめます” 」(今は当人により削除されています)を目撃したときの衝撃たるや強烈でした。
引退の理由は明確に述べられていませんでしたが、彼女はおそらく今までずっと耐えてきたモヤモヤ感情や不安が何らかのきっかけでついに爆発し、「自身の過去をすべて消し去りたいという衝動を抑えることができなかったのだろう」と察します。
彼女に同情したわけではなく、共感でもない、自分でもよくわからない感情が私の内心深くから沸き上がり、2週間以上が経過した今もくすぶり続けています。
私個人の印象として彼女の言動は非合理で不可解でありながら、感情論的あるいは直感的にはわかるような気がするというか、なんとなく私の娘(ASD)の言動と似ているのです。かくして因果は定かではありませんが、私は本ブログを再開しようと決心しました。
参考情報
● 【まとめ記事】マメタ家の紹介と近況報告
● 【まとめ記事】発達障害者の学歴とキャリアの成功事例
● 【まとめ記事】発達障害者(知的障害者も含む)のご家族の学歴とキャリアの成功事例
以上
2023年3月1日配信・2023年11月3日更新
マメタ父さん